世界
最近また英語か韓国語か、どちらかの勉強を再開しようかと思っている。
韓国語の発音すると、英語の発音っぽくなるんだよなー(;^_^A
英語の発音を昔めっちゃがんばったから、口が忘れないんだよね意外と。
韓国語も1年半くらいやってないので、すっかり忘れてしまった・・・。もったいないけど、まーいろいろありすぎて、すっっっかり学ぶ気は失せたからな。
英語も全部忘れたw。あんなにめちゃくちゃやったのになぁー。ホントにやった。それなりに喋れてたもんね。会話続いてたからな。今思うとよくやってたw。文法メチャクチャだったなwww。それじゃダメよ。
こないだ見てなるほどなぁーと、深くうなずいた文章をお借りしました。ありがとうございます。
【わたしが英語の世界に惹かれる理由、学び続けられる動機について】
英語って、わたしの中では単に言葉というよりも、異文化のごちゃごちゃ、そのものというイメージなんです。
英語のスピーチを聴く、ドラマや映画を観る、洋楽を聴く、いろんなところで出会う英語の世界は、自分の周りにはない価値観や、ファッションや、表情や、その他ごちゃごちゃな、自分の知らない世界の象徴でした。
私にとって、英語を学ぶことは、そんな、知らない世界を紐解く鍵を手に入れるためにすること。そして、開けられるようになった扉を開いて触れる世界は、キラキラと混沌が合わさっていて、惹かれると共に、とてもほっとします。
色んなフレーバーの雰囲気、知らなかった考え方、見たことなかった世界が果てしなく拡がっていて、興味がつきない。
さらに、自分は知らなかったけど、これもアリなんだ!これは自分の周りにはないけど、いいんだ!って。いろいろ・ごちゃごちゃでいいんだって、思えて、楽な気持ちになれるんです。
だから、文法や、単語帳や、読解力のトレーニングは、それだけだととても単調な、エンドレスな努力が必要なことですが、
私は、「その先」にとっても魅力を感じるし、興味が尽きないです。
そして、見えるかもしれない、見えたつもりでもわからないかもしれない、つかみどころのない異文化、異文化を持つ人間、「あちら側のあなた」をわかりたい、わかりあいたい欲求が強いんだと思います。
そして、そんなひと筋なわでは理解できない世界の存在が、愛おしい。
また、異文化をもつ彼方の人と分かり合えた瞬間は、たまらなく嬉しい。
自分にとって、インセンティブが大きすぎて、学ぶことは、苦にならない😊
目の前にぶら下がってる大好きな人参🥕目掛けて、駆け続けてます😝
こんな感じかな。
そうなんだよなぁー。つかみどころのない異文化、「あちら側のあなた」をわかりたいのよねー。本当に一筋縄では全然理解できないのよ、ホント。何でそういう思考回路になるわけ?????っていう、その思考が生まれた背景にある文化や宗教、価値観、家族構成とか置かれた環境、状況などなどを無意識に加味した上での思考だからねー。
それはもう「日本人として」「日本で」育ったからこその暗黙の了解から生まれる思考回路では対処できないのよ、異文化。当たり前だけど。「日本人ならこう考える」っていう無意識にもう身についている領域、背景から出ることは容易くない。でもここを出て、相手の考える背景を知って、その同じ土俵に立たないと本当の理解は無理。相手と同じ目線に立って初めの1歩。だと思う。
そしてこういうこともホント、韓国っていう国と対峙しなかったら全く気づかなかったな。
そういう意味では、やっとこさ初めて世界を本当に自分の身近なものとして捉え始めたかも。その考えの背景もおかげさまで知ろうとするようになったからね。
日本のこともホント、留学してた時より本当に知ろうとするようになったなぁ。確実にニュース前より見てる。
そして、確実に韓国という国を知ることで世界の見方が変わったので、劇的に世界と関わることが面白くなったけどなwww。転んでもただでは起きぬ。まぁ、自分で作った世界なので面白くならないと作った意味ないよね。
もっといろいろ知りたい。せっかくこの世界を自分で創造したんだから。あーーーおもしろ♪♪♪
いつかスペインのサンティアゴ巡礼に行くことが夢なのですが、そこは韓国人がめちゃいるらしいので(韓国人はキリスト教の人が多い・・・なぜかは今のところ不明)、韓国語勉強し直してちょっと日本のことについて、めっちゃいろいろ深く突っ込みまくって聞きたいなぁ!!!という野望もある。www。
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